2013年7月4日木曜日

商店街うんちくツアー 宮下商店



店主 関東大震災の直前に、風呂桶・釜のお店として先代が日ノ出町で創業しました。その後、被災して本郷町に移転して来たのですが、最初はこの道路の向かい側でお店を再開しました。

 そして次は横浜大空襲によって焼け出され、戦後、この場所に移転し現在に至っています。
 もともとは木製の湯船や風呂桶などを作っていました。最近は見かけなくなりましたが、ヒノキの部材を銅のタガで締めたものです。


 そこに風呂桶が置いてあるでしょ。これが本物の風呂桶だよ。
 最近はユニットバスの普及によって、木製の湯船を使う家庭が激減しています。ヒノキの桶もプラスチック製に取って代わられてしまいました。スノコも使われなくなりました。
 でも、ごく僅かですが木製の湯船を使っている人がいるんだよね。好きで使っているんだろうけど、たいへん高いものになります。いまのプラスチックやホーローの湯船が4つくらい買えるよ。



参加者 最近の家庭風呂は、ほとんどユニットバスに転換され、木桶やスノコなども使われなくなりましたよね。湯船や桶が木製からプラスチック系に変わっていくと同時に、飯台、おひつ、タライ、洗濯板なども消えていったと思います。風呂桶を作っていたのはいつ頃までだったんですか?
店主  昭和40年代半ばまでだね。変わった当初は風呂釜の修理もしていたけど、今みたいにマイコン制御だなんだということになるともう、私らの手には負えないね。


参加者 お店では洗濯板も売っているんですね。
店主 そこにサイズが書いてあるけど、これは54センチ×25センチ。昔からサイズは変わらないのです。ほかに36センチ×17センチとか26センチ×12センチなどというのもあります。
参加者 電気洗濯機が入ってくるまでは、大きな木製のタライで洗濯をしていました。そこで使っていたのがこの板でした。
店主 昔は孫が生まれると、そのお祝いに、祖父母が産湯用に名前入りのタライを贈ったもんだよ。今じゃ、そんなことはなくなっちゃったけどね。
タライ業者? 東京、横浜にはもう、タライを造っている業者はいないね。昔は山手に、桶屋が四軒もあったんだけどねぇ。
参加者 “風が吹けば桶屋が儲かる”っていうのがありますよね。大風が吹くと土埃が立つ、それが目に入って盲人が増える、盲人は三味線を使っているから三味線に使う猫皮が必要になり、ネコが殺される、ネコが減ればネズミが増え、そのネズミが桶を囓るので、桶の需要が増え桶屋が儲かる、そんな話しでしたが。
店主 そんな長い話じゃない。江戸の町には辻辻に防火用の桶が置いてあったでしょ。ピラミッドみたいに積み上げて。風が吹くとそれが倒れて転がり、タガが外れて修理が増えるっていう話しさ。
参加者 本牧に米軍ハウスがあった頃は、ボイラーの修理とかでハウスに行ったことはあるんですか?
店主 ハウスには行かなかったけど、軍属が住む住宅とかチャブ屋の風呂の修理には行ったよね。
参加者 その辺のお話は…
店主 それは、ちょっとね。話せないこともいろいろあるからなぁ。


(つづく)

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