2016年4月5日火曜日

アメリカの雰囲気を感じる「本牧商店街うんちくツアー」(その8 ばろん)

もともとは、上台市場でやっていた「あをき菓子店」(昭和23年創業)が始まりです。
その後、先代がパン店「ばろん」を創業しました。場所は旧上台市場の向かい側、今の天ぷら屋さんのところでした。
昭和63年に本社ビルが完成し、屋号も「本牧館」となり、平成2年には社名も本牧館と改めました。
その関係で、ここは「本牧館ばろん店」となっています。
作っているパンの種類は100種くらいあります。
なるべく残らないように製造していますが、それでも残りそうなときは、いくつかまとめて夕方からタイムサービスなどで対応しています。
季節によって作るパンも違いますが、小麦粉も湿度の高い日、低い日によって変わってきます。
一番人気は食パンだとか。菓子パンも美味しそうです。

フランスパンもフランス人からお褒めのことばも。
社長のお話を聴いている間にも、次々とお客さんが入ってきます。なかにはタクシーで買いに来る方もいました。
本牧には米軍ハウスがあったし、今でも山手には外国人が多く住んでいます。
そのためこの町には花屋さんと同様にパン屋さんも多くなったのでしょうか。

アメリカの雰囲気を感じる「本牧商店街うんちくツアー」(その7 ブルーパワーズ)

日本の雰囲気を感じさせる「安田屋呉服店」を出た一行は、お本牧通りを渡って次のお店へ。
それは、Japanese HipHopとReggaeのメッカである YOKOHAMA で1990年にオープンした「ブルーパワーズ(Blue Powers) 」。
店内はストリートファッションのアイテムが満載。流れる音楽もアメリカンな雰囲気が漂うラップミュージックです。
衣料品店ですが、横浜や東京をメインに活躍する人気クラブDJのCDや、横浜出身アーティストのCDも販売しています。
店主が子供の頃は、近くにアメリカ兵が集まる焼き鳥屋があったといいます。名前は「英語亭」。
オヤジさんが英語を喋っていたので外国人が大勢集まるようになったとか。
筑摩書房から出ている「横浜本牧・英語亭」という本があるそうです。
後日、調べてみたら、本牧の小さな焼き鳥屋さんに集まる人々の悲しくもおかしな人間模様を描いているようです。
(つづく)

アメリカの雰囲気を感じる「本牧商店街うんちくツアー」(その6 安田屋呉服店)

「ゴールデンカップ」の美味しいランチを食べ、昔懐かしいロックなどを聞いてすっかりアメリカンな気分になったところで、次に訪問するのは、なんと「和」の雰囲気満載の「安田屋呉服店です。
明治44年の創業といいますから、100年以上の歴史がある老舗なんですね。


これは建築プランナーから聞いた話ですが、古い呉服屋さんがある商店街はいい町なのだとか。
本牧通りには2軒あるのかな。
店内には呉服だけではなく祭用品や小物なども揃っています。
昭和20年5月29日の横浜大空襲では本牧の町も焼け野原になってしまったそうです。
元町から歩いてきて麦田のトンネルを抜けると、本牧まで見渡すことができたという話もあります。


米軍は空襲前、どこに焼夷弾を落とすかという詳細なデータを作っていたといいますが、なんと「安田屋」のあるこの場所も候補地だったと。
作務衣や地下足袋なども販売しています。これなんか完全に和風ですが、商品棚の上にはアメリカの雰囲気を感じさせるものがありました。
そういえば、まだ米軍ハウスがあった頃、本牧では国際盆踊り大会をやっていましたよねぇ。
(つづく)

アメリカの雰囲気を感じる「本牧商店街うんちくツアー」(その5 ゴールデンカップ)

まだ本牧が米軍住宅と米軍施設に囲まれていた時代、今の本牧通りはD-Avenueと呼ばれていました。
通りの海側がAreaⅠ、山側がAreaⅡ、根岸の丘がArea Xと名付けられていました。
1964年12月、その近くに「ゴールデンカップ(Golden Cup)」が生まれました。
時代はベトナム戦争の真っ最中、連日連夜、ゴールデンカップにはGI達が訪れ、朝まで饗宴が繰り広げられていました。

ハウスバンドとして活躍していたザ・ゴールデン・カップスが当時のグループサウンズブームに乗って一躍メジャーバンドとなったのもその頃です。
1982年、米軍の接収地が返還され、フェンスの向こうのアメリカは消えてしましました。
跡地は瀟洒な住宅街と商業施設に囲まれるエリアとなりました。


伝説のライブハウスと自他ともに認める[ゴールデンカップ]は場所も当時の佇まいもそのまま、現在もライブハウスとして、レストラン&バーとして営業を続けています。
2014(平成26)年、ゴールデンカップは開業から50年を迎えました。今年は52年目に入ります。


さて、「商店街うんちくツアー」の一行が入店すると、オーナーの上西さんからご挨拶がありました。
上西さんは京都の出身で、もともとは婦人服関係の仕事をしていました。その後、横浜に出てきたのですが、 当時はベトナム戦争の最中で本牧には米兵があふれていました。
「米兵を相手にする商売をするのもいいかな」と思った上西さんは、「イタリアンガーデン」に行く機会も度々あり、その雰囲気の良さを気に入り、「ゴールデンカップ」を開店したそうです。



上西さんのお話が終わると間もなく、驚きのサービスがありました。
なんと、バンドの生演奏があったのです。
予定には入っていなかったのですが、参加者に当時の雰囲気を味わってもらおうと、メンバーを集めてくれたようです。
エルビス・プレスリーやビートルズの曲が流れていました。






途中からは女性のシンガーも登場。


いい感じですね。



この日のランチ。柔らかいハンバーグに濃厚なソースがかかっていて、美味しいです。
みなさん、食事をしながら昔の音楽を楽しんでいました。


なかには、昔を思い出してゴーゴーを踊る女性も!
いいね。


懐かしいジュークボックス。ダイアナ、ムーンリバーなどのほかに、もちろんゴールデンカップスの長い髪少女も入っています。





ランチの最後はお楽しみの抽選会。いいものが提供されていました。

表に出ると、TVkの取材班が待ち構えており、参加者にインタビューをしていました。
(つづく)

アメリカの雰囲気を感じる「本牧商店街うんちくツアー」(その4 葬儀社 本牧ホール)

つづいて一行が向かったのは葬儀屋さん。「本牧ホール」です。
お話しをしてくれたのは館長の高橋さん。内容は葬儀に関する基本的な情報で、その後、参加者からの質問もありました。
一例を紹介すると・・・


自分は横浜に住んでいますが、菩提寺は遠くの県にあります。家族が亡くなった場合、菩提寺への連絡とか葬儀とかはどうしたらいいのでしょうか?


こんな質問でしたが、館長のお答えは・・・


葬儀を澄ましてから菩提寺に連絡、納骨というのはいかがなものでしょうか。それはよくありません。
まずは菩提寺に連絡しましょう。そこで横浜にある関連のお寺を紹介してくれるはずです。


とまあ、こんなやり取りがあったのですが、本牧における葬儀屋さんとアメリカとの関係は、残念ながら詳しく書くことはできません。


でも、少しだけ・・・


戦後は米軍関係者と日本人女性の間に多くの混血児が生まれました。しかし、生まれる前に亡くなってしまった子どもたちも大勢いたのです。
あとは、こちらの本を読んでいただきましょうか。
さて、本牧ホールでお話しを聴いたあとは、お待ちかねのランチです。
会場はなんと、あの「ゴールデンカップ」!

ハンバーグとカレーライスの2種から選択です。
楽しみ~
(つづく)


アメリカの雰囲気を感じる「本牧商店街うんちくツアー」(その3 本牧ガーデン)

「本牧OZ」でアメリカの雰囲気を感じた参加者は、次なる訪問先「本牧ガーデン」に向かいました。
こちらは造園業(細野植産)もやっていますが、今回は生花販売のお話しです。




本牧というところは花の栽培農家が多くて、昭和の初めでも18軒の農家がありました。
その中で一番古いのが通称ジャーメン農場、藤沢花園というところです。
店主(細野さん)の祖父は造園業を行っていました。そのいとこがジャーメン農場を始めたのです。西洋ツツジと呼ばれるアザレアを日本に初めて持ち込んだのが藤沢でした。

石田兵一著『雲水伴侶』より ジャーメン農場

本牧や山手にはアメリカ人を始め多くの外国人が住んでいました。ですから花の需要が多く、その結果、本牧通りには花屋さんがたくさんあったのです。



昭和30年頃は、米軍の人たちも景気が良く、1ドル360円でしたから日本人に比べれば非常に高い給料でした。
クリスマスともなると、アメリカ人はいいものがあればクリスマスツリーを買い替えます。一軒の家の中で、2本3本と飾っていました。庭にも部屋にも。

大きいのは天井を突き抜けるほどのものもありました。


ほかの花屋では、クリスマスになると花束や洋蘭などがどんどん出ました。1輪500円くらいで仕入れたのを1万円2万円で売れたそうです。
ほかの町だと菊などが登場するのですが、本牧はやはり違います。蘭やバラなどの需要が多かったのです。日本人にとっては高嶺の花でしたが。
店主のお話を聴いたあと、なんとアザレアのプレゼントが!
ありがとうございました。
(つづく)

アメリカの雰囲気を感じる「本牧商店街うんちくツアー」 (その2 本牧OZ)

中本牧コミュニティハウスを出た一行は、最初のお店「本牧OZ]に向かいます。
本牧に米軍住宅があった頃(1982まで)は、アメリカ人が買い物をしていた店。
身体の大きい外国人が巨大なシャツやズボンを買い来ていたし、今でも来るといいます。

だが、ここで扱っているのは大きなサイズのものだけではありません。昔から日本にないものを売っているのです。
アメリカまで自分で仕入れに行っているから、日本で流行する前の衣料品などは、ここから始まったというのも多いそう。
最近は円高になってきたので、輸入品の買いどきだといいます。しかも、ここではまだドルで買い物できるのです。

店内のラジオから流れてくる放送はFEN!
懐かしい本牧の音がそこにありました。
ご主人にアメリカ文化や音楽のことを語らせたら止まりません。まさにマシンガントーク!


ここでは、輸入衣料品のほかに帽子、カバン、雑貨なども取り扱っています
上の棚に飾られているのは、外国人が日本土産として買っていくものですが、この日はこの中から参加者にプレゼントもありました。


アメリカの公衆電話機が、そのままお店の電話機として現役で使っているし、古いジュークボックスもあるので、店内を見ているだけでも飽きません。
(つづく)

2016年4月4日月曜日

アメリカの雰囲気を感じる「本牧商店街うんちくツアー」 (その1 中本牧コミュニティハウス)

第4地区南部元気づくり推進協議会と商連かながわの主催による「本牧商店街うんちくツアー」が4月2日(土)に開催されました。
今回は、タイトルにもあるように、アメリカの雰囲気を感じていただけるお店を巡るコース設定となっています。
「神奈川県のたより」(発行部数:336万部)でPRしていただいたおかげで、募集人員30名のところ約200名の応募がありました。
336万という配布部数の威力もあったと思いますが、それ以上に県民の「本牧」に対する思いや憧れが、これだけの申込者に現れたのではないでしょうか。
昼食・お土産が付くとはいえ、2,800円の参加費の他に交通費をかけてまで本牧に来ていただいたことは凄いことだと思います。
「本牧」…捨てたもんじゃありませんよ。
当日は気温がそれほど上がらなかったのですが、雨も降らずツアーにはちょうど良い天候だったのではないでしょうか。
参加者は本牧宮原のバス停に集合したあと、桜が満開の本牧通りをスタートしました。
山手警察署を見ながらしばらく歩くと、最初の訪問先である中本牧コミュニティハウスに到着。


ここで主催者を代表して第4地区南部元気づくり推進協議会の運営委員長と事務局長からあいさつがありました。
テレビ神奈川の番組「猫のひたいほどワイド」のスタッフからインタビューを受ける事務局長。


実はこの日、TVkが最後まで撮影してくれていたのです。放送は4月11日の予定だそうです。


その後、コミュニティハウスの応援団長である村田さんから、この建物についての興味深いお話を聴きます。
ここは昭和4年(1929)に本牧町婦人授産所としてスタートしました。
関東大震災後の昭和3,4年には、復興建築として橋梁や小学校などが造られますが、ここもその一連の構造物のようです。
戦後は山手警察署が本牧町2-376からここへ移転してきて、約20年ほど使用していました。
その後、中区青少年図書館を経て、平成14年(2002)からコミュニティハウスとして使われています。
3年後には創建90周年を迎える、横浜市認定歴史的建造物なのです。
お話しを聴いたあとは次の訪問先である輸出入衣料雑貨の「本牧OZ」へ向かいます。
(つづく)