2013年5月22日水曜日

本牧ストリート BEER-1グランプリ

本牧ストリート BEER-1グランプリ開催!

2013年6月1日(土)~6月30日(日)

横浜発祥のビール産業は、19世紀の横浜の一人の起業家にさかのぼる。

天沼と呼ばれる清水の湧きでる北方で1870(明治3)年、米国人コープランドは、日本で初めて継続的にビールの醸造・販売を行った。

『中区史』にはビール会社と題して、つぎのような一文が載っている。

 天沼は近代産業のビール醸造の土地として脚光を浴びることになった。すでに市街化して、灌漑には使えなくなった琵琶池の一部を残し、まわり一帯が埋立てられ、ビール醸造技師のコープランドによって、明治2年1月、ビール醸造会社スプリング・ヴァリー・ブリュワリーが創立された。
 天沼の山腹に湧く水が、ビール醸造に最適な硬水であることから、ビール製造地となったのであった。
 ここで造られたビールは、居留外国人や外国人兵士に評判となった。コープランドはこの製品をもって、山手居留地122番でビヤガーデンを開くなど、大いに売り込んだようであった。


 さらに「ビール会社と電気鉄道」という項目で、以下のように紹介されている。

 明治末期の北方地区は、天沼のビール会社とともにあった、と言っても言い過ぎではない。  
 ビール会社は40年2月、近藤廉平らによって資本金250万円、その名も騏麟麦酒株式会社、年量300万ガロン、海外にも輸出する企業となった。
 これまでにいたるのには、明治18年のジャパン・プリュワリー・コンパニー・リミテッドから、29年の株式組織への変更、32年日本醸造株式会社に改称、39年には資本金60万円が120万円に増資されるというように、次第に業績を上げ拡充されてきたのである。
 しかし、この製品の輸送手段は、桜道などで山手の丘を越え、石川や元町の川辺からダルマ船に積み込むという大変なものであった。
 44年(1911)4月1日、横浜電気鉄道が開通。
 この地区では上野町・千代崎町を通ることとなったが、これは地区にとって町民の利便になったが、むしろビール会社にとって最も都合のよい輸送手段が確保されることとなった。
 電気鉄道の引込線がひかれ、製品はいったん千代崎町に集積され、そこから麦田のトンネルを通って、短時間に船積場に運ばれ、輸送方法は非常に効率化され会社の事業業績はますます上がっていくこととなった。


 そんな歴史を持つ本牧ストリートに並ぶ飲食店19店舗が参加して、「本牧ストリート BEER-1グランプリ」が開催される。
  スタンプラリー形式で行われるこのイベント、参加者はお店でビールを飲み、スタンプをもらう。
 スタンプが3店舗分集まったら、ビールが美味しいと思ったお店を投票用紙に記載し投票する。
 投票した参加者は抽選でプレゼントが当たる!


焼き鳥・鶏料理「纏」
中国料理「長白山」
焼鳥・うなぎ「鳥京」
「花夏彩」(かなや)
ビストロ「HOTBA」
飲の処「彩咲」
イタリアン「TERULISTA」

和イタリアンバル「風我」
居酒屋「弁慶」
レストラン「松山」
「Bloom CAFE & DINER」
「本牧きんちゃん」
「本牧イタリアンガーデン」(I.G)
「Moon Cafe」
「Bon appetie」(ボナペティ)
「なか坊 餃子」
「本牧ハローカフェ」
焼肉「千山閣」
「Boogie Cafe」

「カナリア カフェ」

本牧ストリート BEER-1 グランプリのサイトは・・・こちら


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